知識と情報の小径【塾編】
塾にまつわる優れたコラムや興味深いコラムを紹介する小径です。
コラム
正直に言うと、 いい歳かっくらって 私はいまだに 「自分探し」をしている。 血管年齢33歳なので 公称33歳だけどwww バカみたいだ…と思うこともある。 作品との対峙は己との対峙 でもそれって、 芸術に携わる人間としては ある意味、 当たり前なのかもしれないとも思う。 芸術創造とは、 作品を鏡にして、 その都度、自分自身を覗き込む行為。 演奏は再現芸術だから 創造行為じゃないという人は AIに負ける人ね。 楽譜の再現だけなら打ち込みと同じ。 今は相当パラメーターを 細かく設定できるから、 手間さえかければ「名演」が出力できる。 でも、音楽の深みは果てしなくて、 掘っても掘っても底が見えない 永遠の深淵。 ここに自分を映す以上、 当然、自分という存在も、 一度わかったら終わり、なんてことはない。 終わらない玉ねぎ 私は 就職というレールを放棄して、 音大も出ていないのに クラシック音楽家の道を選んだ。 日本社会が推奨する スタンダードな人生からは完全に逸脱してるし、 クラシック音楽家のスタンダードからも 完全に逸脱している。 めちゃLa traviata(=道を踏み外した女)な 生き方をしてきた。 それでも不思議なことに、 どれだけ「外れた人生」を歩いてきても、 いまだに 「誰が決めたのかわからない謎ルール」に 自分が縛られていることに気づく瞬間が 結構ある。 気付いたら捨てる。 まるで玉ねぎの皮をむくみたいに、 世間体、常識、忖度、 「こうあるべき」という無数の薄皮を 一枚一枚、剥がしていく作業。 もしかして人生はこれで終わるのか!? …とすら思うくらいだ🤣 ストレイ・シープ(さまよえる子羊) あるいは、 気づけば「本当の自分」を 外に探しに行こうとしていることもある。 成功した人の真似。 有識者が語る「これが正解」。 再生数の多い言葉、 バズっている生き方、 「それっぽく整った人生モデル」。 ひどいときは、 誰かにちゃんと愛されている自分、 認められている自分、 羨ましがられている自分を 「本当の自分」だと勘違いしそうになる。 でもそれって、 どれも自分の外側にあるものばかりで—— 借り物の価値観、 誰かの人生の切り抜き、 都合よく編集された成功物語。 それをなぞったところで、 一瞬安心するだけで、 しばらくするとまた空っぽになる。 「まだ足りない」 「もっと正解があるはず」 「私はこれでいいんだっけ?」 そうやって、 また自分を外に探しに行くループ。 ストレイ・シープの日々。 私は、ここにいる そんなふうにすぐブレブレになる私を いつもセンターに戻してくれるのが、 ピアノに向かっている時間。 思い返せば、 私が音楽の道を選んだとき、 それこそ世界中が 「無謀だ」「やめろ」「正気か!?」と 猛反対した。 (今の私だって 同じことをするヤツが出てきたら 全力で止めるかもしれないw) でもあの時の私は 世界中を敵に回しても 自分の中にあった ほんの小さな、小さな真実の光—— ダイヤモンドみたいな輝きを 抹殺することが どうしてもできなかった。 ピアノに向かう時間は その小さな光を確認する時間。 本当の自分は、 人から与えられるものでも 外に探しに行くものでもなくて 自分の中心にそっと戻ったときに、 いつも同じ顔で座っている。 「どうしても音楽がやりたい」 その自分の願いを叶えてやろうと 世界に刃向かった自分こそが 本当の私、コアな本質なんだと思う。 そう考えると、 今の私の表の顔なんて ずいぶんと飼い慣らされて 牙も爪も抜かれてるよね。 No Music, No Life. これはスローガンじゃない。 生存条件。 音楽があるから私は私でいられるし、 音楽がある限り 私は何度でもセンターに戻れる。 ――そう。私は、ここにいる。 世界に刃向かってでも 道を外れてでも 音楽を選んだ女。 その本当の自分を忘れないために 私は今日も音を鳴らす。 奏法改善・感性開花・楽曲分析 ロシア奏法で 中上級者の苦手克服をサポート 《高島ピアノ
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》HP もっと自分らしく生きたい! 自由で豊かな人・・・
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